人が最期の瞬間に流す涙の意味
この世での人生を終え、死を迎えるとき。
その瞬間に、涙を流す人が多いといいます。
私のカウンセリングに来られるお客様の中にも、身内の方が亡くなられたときに涙を流していたため、
「何か言い残したことや、未練があるのでしょうか?」
と心配されている方がいらっしゃいます。
実は、この涙には深い意味があります。
私がそのことに気づいたのは、私自身の入院経験からでした。
愛の涙
ある日の夜中、私は猛烈な吐き気と激しい頭痛で目覚め、意識が遠のいていく感覚に襲われ、救急病院に搬送されました。
かすかな記憶の中で、遠くで医師が話し合っている声、そして、何か機械の音が聞こえていたような気がするのですが、私の意識は徐々に遠のいていきました。
しかし、心の意識はしっかりとありました。
それは、MRI(磁気共鳴画像)検査のときに、機器の中に入っている自分自身を客観的に見ているような感覚でした。
いわゆる「臨死状態」に近い感じだったのかもしれません。
「私は、このまま死んでしまうのだろうか……」
最初は、そればかりを考えていました。
そのうち、客観的に自分自身を見ている場面へと切り替わり、周りの空気も温かなものへと変わりました。
そして、私の意識は、もう一段階、深く落ちていく感覚へと変わりました。
すると次の瞬間、走馬灯のように、次から次へと、過去のさまざまなシーンが目の前に映り始めたのです。
それぞれのシーンは、不思議なことに、まるで、今、その瞬間に体験しているかのように感じられました。
自分の感情も、まさにそのときの感覚であって、過去のこととは思えないような感覚でした。
それらのシーンは、どれも、家族と過ごしたものばかりでした。 子どもが生まれた瞬間のシーン。 子どもの運動会で、大きな声を出して応援しているシーン。 息子の中学受験を応援し、合格発表で「合格」の番号に涙を流しながら共に喜んだシーン。 沖縄の海で、娘と一緒に星空を見上げて、「すごいねー、綺麗だねー」と感動したシーン。 まだまだ、たくさんのシーンがありました。
どうして、あんなにも人生の美しい思い出が短時間で出てくるのだろう……と思うほどに。
「私の自分史」がそこにありました。家族と過ごした日々が非常にリアルに、そして、 そのときの感情までもが鮮やかに再現されていました。 私の心は温かな気持ちと感謝と懐かしさでいっぱいになり、自然と涙があふれてきました。
その瞬間、私は目覚めました。
周りには、医師と看護師、そして、家族……。
私は生きていました。
現実に引き戻されたような感覚がありました。医師や看護師の声もはっきり聞こえますし、姿も見えていました。
そのような中で、しばらくは、自分が見てきた人生の回想シーンを思い出していました。
あの回想シーンを見ているとき、私は死ぬことへの恐怖がまったくありませんでした。未練もありませんでした。
そんなことを考えることもなく、とにかく愛すべき思い出のシーンのみが走馬灯のように回っていたのでした。
元気なときには、常々「まだ死にたくない!」「やることがたくさんある!」と思っ ていたはずですが、実際にはそうではないのだということがわかりました。
私は「感謝の涙」を流した瞬間にこの世に戻ってきましたが、死を迎える方も、そ のプロセスは同じなのだと思います
本当に「死」の瞬間が訪れたとき、私は「死にたくない」などとは思わず、穏やかな気持ちで最期を迎えるでしょう。
最期の瞬間にあるのは、家族への「愛」と「感謝」です。
共有した美しい時間と、この家族に巡り会えたことへの感謝で、優しい気持ちになれるのです。
「ありがとう……」と言って、最後に流す涙は、「愛の涙」なのだということがわかりました。
「人は、最期の瞬間にわかる」と、よく言われますが、この「愛」を学ぶために、人は生まれてきているということがよくわかりました。
たとえ、生前、喧嘩ばかりしていたとしても、それさえもすべて含めた「ありがとう」なのです。
もし、あなたの大切な人が最後の瞬間、涙を流したら、それは「後悔の涙」ではなく、あなたに感謝する「愛の涙」なのでしょう。